震災日記2 2011年3月12日㈯
【テーマ】
なし。なんの学び、お役立ち情報でもありません\(^o^)/
【前置き】
のちに『東日本大震災』と呼ばれるあの地震から10年が経ちました。
私は実はいまだに思い出すと胸がざわざわするので宮城県に再来できていませんし、
震災関係の番組も見ません。発信もしていませんでしたが、
今年は解放していこうと思います。
記録してある日記と写真を観て思い出しながら当時の心境と環境の事を
何日かに亘って書いていきます。
【本編】
2021年3月12日㈯午前6:00位
本格的な避難生活がスタート
電気は非常灯のみ、ガスなし。水は飲む分だけの有限。
情報なし、ガソリンはあるだけ、食料補給なし、道路は洪水の状態。
水があまりないので、洗顔や歯磨きなどは出来ない。
この日から3食少しずつの食事を作り配給しよう。と、また誰からともなく話が出てまとまり、準備開始。
白衣の上に防寒でジャンパーを羽織っていたが、調理する時は一応白衣でする。
お客さん450名と従業員120名分。合わせて570名分だ。
この非常時に、万が一足らないと困るので多めに想定して作ったと記録にある。
温かいものもを作ろう。
ホテルの敷地は広い。
建物内で火を熾せる広いテラスにU字講
を2~3列で4~5個並べてコンロを作りました。
確か2台。
中に炭を入れて火を熾し、鍋や釜を載せて調理開始。
※消火用の水などないから火の番は超慎重、最重要任務である。
和食チームは米を炊いて、味噌おにぎりに。(仙台味噌を表面に塗る。焼かない。宮城の人は大好き)
洋食のシェフのOさんがソーセージ、ベーコン、パプリカなどでスープを作ってくれた。通常では朝食バイキングで提供する食材だ。
さらに用意してあったゆで玉子。
2021年3月12日㈯午前8:00位
【朝食】
パンか味噌おにぎりどちらかを一人一個。紙皿にて
スープ1杯を紙コップにて
ゆで玉子も一個それぞれ配給。
この後、石巻出身の和食の先輩Kさんが、家族が心配のあまり車で様子を見に行こうと一度目のチャレンジをするが、辿りつけず、引き返してきました。
このタイミングで、450名のお客さんの内、近隣県在住の約300名が大型バスにて帰路についたようだがはっきりとは覚えていない。
2021年3月12日㈯午前12:00位
【昼食】
お客さん150名、従業員120名分と記録にある。
豚汁風にローストビーフ、大根、人参、占地、長葱
【夕食】
同じくお客さん150名、従業員120名分
筍雑炊、筍土佐煮、海苔の佃煮、海苔汁。
と記録にあるが、昼か夜かの記憶はあいまいだ。
この日は5人一組で客室で寝たと記録にある。
みんな肉体的にも精神的にも疲労がかなりたまっていた。
続く